裏・イデアは言葉を話さない - melancholy of virgin -
ムラセマナブ× 空に名前を
これは彼女達の記憶と日常
【 I know / die side 】
夜は悲しみに触れた 繋いだはずの感覚が遠くに消えて忘れたって笑う
見えない性質と見える性質 どちらが好きかな
わたしはね 記憶が好き
本当はね 白に包まれて よく病棟というところで笑ってるのが好きだった
わたしの名前を呼んでくれるの毎日毎日
それがね とてもとても嬉しかったんだ
ある日ね 小さな女の子がわたしを見て云ったの
「おはよう」って わたしは「おはよう」って返した
小さな女の子はばいばいって手を振った
毎朝 花が盛られたお皿が出てくる それを食べて 1日がはじまる
――――――――――― 同じきみがそこにはいつもいる
ううん 同じじゃない わたしは毎日違う いや 日にちなんてものはないのかもしれない
わたしは私なんだけど どこか違う こんなはずじゃない そう思ったりする
それでも 気付いたら わたしはわたしになる
忘れてしまったら 怖いな そんなことを思って 私は死んでしまった
【 I know /breath side 】
私は どこかに行きたいと願った 星に願った 夢の国みたいね
ざわつくと 隣のきみが云った どうしてと聞いた なんとなく そんなものだ
今日はいい天気だね ちょっと寄り道しようか そんな日も悪くない
公園に着くと はしゃぐ子供達の声が響いていた 私はベンチに座った
きみは芝生に座った 「もし 私ときみが離れ離れになったら」なんて云う
きみは時々 空想的なことをいう 私はそれに付き合うのだ 楽しいからね
陽が落ちてきた 帰ろうか そうだねと きみは明るく云う
帰り道 私はいつまで こんな日々が続くのだろうと思った 少しだけ 苦しくなった
「本当はさ 私達はいないのかもね」きみの戯言は続いていた
――――――――六月十六日 月曜日 呼吸をしていることに気付いた
なんだか 綺麗だった 私は私でいることが幸せだと感じた ソコハカトナク
これからまた きみに会いに行く予定だ 今日はどんな花がいいかな
きみに会いに行く途中 小さな女の子が笑っていた 片手には小さな花を持って
病棟の前で きみと話すことを考えていた きっときみはまた戯言をいうのだろう
思い出し笑い 私はふと見上げた そこにきみがいた 小さく泣きながら
- melancholy of virgin - → - stupid with end -
あとがき と 簡易説明
裏イデア展 - melancholy of virgin -編にて展示した物語でした
物語内の時間軸を説明をしますと、個展「イデアは言葉を話さない」の
前の時間軸(あるいは交錯している部分もあります)を表しました
裏イデア → 個展「イデア~」という時間軸です
それを今回テキスト化しました(個展にもこの二人は登場してまいす
タイトルmelancholy of virginの和訳は処女の憂鬱になります
処女=小さな女の子・ニーナになります(個展『イデア~(略)』の主人公)
サブタイトルはニーナの視点でもあることを示したかった
今回は裏イデアでは彼女達の視点から物語テキスト化しました
ここで個展「イデア」で出逢った彼女達の一面が見ることができます
そして 今後にも大きく関わってきます
stupid with end 編(7/11~13 / 18~20 / 25~27)後編という位置づけです
ここで裏イデアは終わります そして 実際行われた個展「イデア」が存在します
なぜ、個展の前にやらなかったのか
正直に述べますとそれは個展開催時点で
僕自身も彼女達がどうしてニーナと交わったのか
僕も知らなかったからです
裏イデアを開催しようと思ったのは
個展「イデア」で彼女達の物語が
自然と見てくださった皆様から生まれたことでした
それを実際に感じ取り 今回の裏イデアに発展しました
また 後編でお見せしたあとにも述べますが
イデア=本質はまだ終わっていないという僕の考えです
2,3年をかけてシリーズ化という僕の遊び要素でもありますが
物語は常に変化して また道筋を展示自体から導きだすこと
それがイデアシリーズなのかもしれません
映画を作りたいと個展のとき簡易解説でも最後に述べていますが
抽象的ではあるかもしれませんが
僕自身、物語が進んでいく過程の中で作品を作っています
この物語に関しては未完成であり
完全に伝えられることはまだまだですが
それを頭のどこかに覚えてもらえると僕も嬉しいです
僕の中では写真展は写真展であり分離したところにあり
この物語というのは 自分の中で中心であり また
作ることの意欲そのものなのだと思います
また長文になってきました
僕は言葉にすることがとても苦手です
それでは また