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ART-SCHOOLを見続けて 2001-2002編

2015.2.13
まずはART-SCHOOL活動休止しました。
ライブおつかれさまでした

一つだけ言いたいのは斜陽あるいはニーナの為に
この2曲のどちらもやらなかったことには
個人的には残念です。
せめてSwan songを聴きたかった思いもあります。

それはさておき
今回は主観的にART-SCHOOLを見続けた思い出を
綴ろうと思います。
ものすごく主観的ですのでご了承ください。

ART-SCHOOLを知ったきっかけは
高2の時で、CDショップで働いていたライブ友達に
SONIC DEAD KIDSとMEAN STREETが入った
MDを渡されたことでした(MDって懐かしいですね)
初めて聴いた感想は今でも鮮明です
『なんてチープなミックスなんだろう』と
(数年後、このミックスについてインタビューにて
意図を理解したので納得しました)
しかし、耳に残るメロディーと歌詞
特に斜陽、ガラスの墓標、ロリータキルズミー
これを気付けばリピートしていた日々でした。
特にガラスの墓標の歌詞である
"醜い奴らを皆殺し"が痛烈でどんどんと
ART-SCHOOLに引き込まれていきました。

その後、リリースされた
MISS WORLDの渋谷でのインストライブに行きました
はじめてのアートライヴでした。
近年、ライヴを見始めたファンの方々には
想像もできないかもしれないけど
ホント、会場の雰囲気は暗くて(笑)
またライヴが始まっても、ファンは動かず
ボーカルである木下さんは
喋ったと思ったらボソボソほんの少し喋って
何を言っているのか、本当にわからないレベル
(今でもたしかにボソボソ喋りますが、あれ以下です)
ファンは咳一つしてはいけないような空気感でもありました
このバンド大丈夫か?とまじめに不安になったのを覚えています
しかし、ますますART-SCHOOLの曲が聴きたくなった。
帰り際、アンケートに答えて帰った

すると翌日、アンケートに書いていた携帯のEメールに
なんと当時のドラムである櫻井さんから
来ていただきとお礼メールがきたのです!
(しかも予測ですが、、というか確実にご本人の携帯メールから
送っていたものと思われます)

すごく喜びました。当時の僕にとっては
家宝みたいなメールでした笑

その後、比較的早いスピードでTOSHIBA EMIから
メジャーデビューを果たし
1st アルバム REQUIEM FOR INNOCENCEをリリース
この盤は本当に毎日毎日通学時に聴いてました
色々と恋愛をしていた僕でもありましたので
そんな思い出もくっついてますが笑
それは支えられたというか
恋愛ソングでもないし応援ソングでもないですが
当時の僕にとっては、心強い音楽でした
理屈ではなく、一つの生き甲斐であったことも事実です

・・・・意外と長くなるので今回はこの辺まで

次回は2002から2003までを思い返そうと思います。

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