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ART-SCHOOLを見続けて 2002-2003編

アートを見続けて第2弾です。
主観で書いています
また今回から非常に言葉が悪いです
ありのままを書かなければアートスクールを
語れないので ご了承ください

この時期はシャーロットe.pやSWAN SONGなど
2ndアルバム「Love/Hate」リリース
そして、第1期 解散へと
そんな時系列ですね

シャーロットやSWANは本当に綺麗で時に残酷さを感じさせた
この頃ちょうど木下さんのお母さまがお亡くなりになった
のちのちにインタビューなどで知ることは多々ありますが
「死」というものに向かうような
言葉が込められているような気もする
特に僕の解釈ではあるがFADE TO BLACKの
"水曜日に天使は去った" など
「死」を受け止めようとしている様が感じられた
だから その時期のFADE TO BLACKはライヴで聞くたびに
僕は涙が止まらなかったのを覚えている
悲しく聞こえてしまったんです(勝手ですけど)
カバーである IT'S a MOTHERFUCKERはお母さんに向けた
鎮魂歌 そのものではないだろうか。

この時期のフリーペーパーのインタビューを今でも
よく覚えているのですが
木下さんの発言で
"汚いことから目を背けることのほうが
汚く思える"(ニュアンスはこんな感じでした)
この言葉に深く共感しました。
それがfoolishという曲になったのだと思います
SWAN盤では そんな死生観の中
少し前を向けるような そんな楽曲に仕上がっていると感じる

当時の感覚としては光を見るのではなく
汚い部分に目を向けられていたと思う
当時の世の中は今よりネット文化というものも
浸透していないのもあるが
汚いものには蓋をという感覚が非常に大きかった
汚いことやアングラなものは表にも出ないし
メンヘラという言葉もない
DVという言葉だって認知されていない時代だ
そんな現状が実は昔も今も変わらないことではあると思うが
アートスクールという音楽はそんな子達を救ってくれていたと思う
(実際、僕自身もそういうことの一人ではありますし)
サッドマシーンの歌詞から引用すれば "君は俺の宗教そのもの"
まさにこの言葉がとてもいい表現である

また当時のインタビューから読み取れたことは
木下さん自身も本当にクズみたいな人だったってこと
(ティッシュ配りのバイトすら落とされたのだから)
(他にも多々あるが、これ以上僕が書くとただの悪口になるのでやめておく)
でも そんな木下さんでも本当に音楽にはまっすぐで
こんなに音楽が好きな人の音楽は本当に素晴らしいって
思い続けられた

ライヴもメジャーデビューしてから箱の規模も大きくなり
お客様も増えていったのもよく覚えている
どこか辛くて悲しい そんな人達が本当に
アートスクールの音楽を求めていた
そんな空気のライヴ会場だった
(アートスクールのライヴは暗くて有名になっていた笑)

これはこの時期か定かではないが
MCでこんなこともいっていた
(小さな声で、でも喜びを伝えるように)
「ついにクレジットカードが作れました」
本当に会場が小さく拍手しましたよ
でも 皆で本当に良かったねっていう気持ちがいっぱいでした笑
決して生活は安定はしていなかったと思うけど
それでも クレジットカードが通るぐらいの収入ができたという
遠回しの報告だったのだと思う
(今はクレジットカードは簡単に作れるが当時は
今より厳しいとこが多かったのです、しかも職が職なだけに難しい)

メジャーデビューしたとはいえ、当時は月5万ほどしか
もらえていなかったそうな
(ストレイテナーの4人の自伝本?より参照)
当然、この頃からストレイテナーも進出してきており
ベースである日向さんがテナーのサポートに入っていたし
しかも普通にジャケットにも写っており
?!的な感覚ではいました笑
しかし、それは去年?ではテナー自伝に色々と書いてありました
その頃の深い謎がようやく解けたって感じでした

正直、僕は2ndの「Love/Hate」は聞いた瞬間に
えっ?ってなりました。
最悪なアルバムだなって思いましたよ
リリース後、解散があったので その時はそれで納得しましたが
のちのインタビューから理解できたことで
このアルバムの制作時は最悪だったそうだ
何かあれば喧嘩だったりと
本当に納得のいく理由である

Love / Hate というアルバムタイトルと同名の曲がありました
それを聞いていると 本当に木下さん自身のことを歌っていると思いました
まさに愛と憎しみの葛藤という感じで これをはじめて聞いて
このバンド どうなるんだろうって思うわけですよ
しかしながら そんな自分自身のことを歌っているこの曲は
唯一好きな曲でもありましたけど

新宿リキッドルームでの第一期の解散ライヴは僕は行けずで
(新宿のボロビルの9階にあった箱で今は恵比寿リキッドと移転している)
たしか音楽番組での生放送で見ていたような
(うる覚えです)

こうして、第一期アートスクールは幕を閉じたのです
あの時は僕も本当に残念な気持ちでいっぱいでした
それでも また戻ってくることを信じていました
第一期での思い入れが語っても語りつくせないですけどね笑
高校生だった僕の青春の一部だったのですから
いや 一部というよりかは すごく大きかったと思います
本当にすげーバンドだなーってずっと思ってましたから。

次回は2004~2005をお送りいたします。
ついに第二期のはじまりです

駄文で失礼いたしました

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